はるかさん退院おめでとう・・

ハリセンボンはるかさんが無事退院して仕事に復帰しました。
入院生活しているといろいろ考える時間があるので悩みも多かったでしょう・・なかなかプラス思考にならずにマイナス面ばかりが脳裏に浮かんでしまいがちですものね・・・
復帰早々仕事が山のように舞い込んでいるというからうらやましいような気がしますが・・あまり無理して再入院ということの内容にしてほしいです。ちょっと顔色もよく、ふっくらしたようなはるかさんの活躍を期待します・・
posted by ハリセンボン at 03:10 | Comment(52) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハリセンボンはるかさん結核で入院

ハリセンボン:箕輪はるかさん肺結核で入院 2カ月休養

お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるかさん(29)が、肺結核のため入院していたことが分かった。
所属事務所のよしもとクリエイティブ・エージェンシーによると、箕輪さんは3日、体調不良のため、東京都内の病院で精密検査を受けたところ、肺結核と診断されそのまま入院・・・約2カ月間休養し、その間、相方の近藤春菜さん(26)が1人で活動を続けるということです。

 同事務所は肺結核が空気感染した恐れがあるとして、東京都の指導に基づき、08年12月1日から09年4月3日、ライブ会場やテレビ番組の収録スタジオなどで箕輪さんと接触したファンや関係者に対し、自治体などの発表情報に注意し、せきが長引くなどの症状がある場合は速やかに医療機関で受診するよう呼びかけています。
箕輪さんは昨年暮れごろから、せきなどの症状が出ていたらしいです。

毎日新聞より転記 2009年4月6日 20時24分(最終更新 4月6日 20時42分)


ハリセンボン・箕輪はるかが肺結核で入院 感染拡大のおそれも
女性お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるかさん(29)が肺結核のため入院したことが6日、わかった。所属事務所のよしもとクリエイティブ・エージェンシーがホームページを通じて明らかにした。箕輪さんは現在入院中で約2カ月休養するという。

肺結核は空気感染が起こる可能性がある病気で、昨年12月1日から今年4月3日の期間で、吉本興業グループの劇場、その他のライブ会場、テレビ番組収録スタジオなどの観覧者らに感染したおそれがあるという。これを受け、東京都や保健所では接触者の調査・健康診断の実施を決めた。
所属事務所は「ご心配な方は自治体からの発表情報にご留意くださいますようお願い申し上げます」と説明。「ファンの皆様には、大変ご迷惑ご心配をおかけし申し訳ございません」とお詫びのコメントを発表した。
4月6日16時46分配信 産経新聞より転記
posted by ハリセンボン at 23:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハリセンボン プロフィール

ハリセンボンは、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属の女性お笑いコンビ。東京NSC9期生。2004年結成。略称「ハリセン」。
実年齢とはかけ離れているおばちゃん顔が特徴。
インタビュー
ハリセンボンのランキングセレナーデ(番組ブログ)

メンバー
箕輪はるか(みのわ はるか、1980年1月1日 - )東京都北区出身。
身長160cm、体重52kg、星座やぎ座。ボケ担当。
早稲田大学第二文学部卒。
肌年齢32歳。現在、肺結核で入院中約2カ月休養
近藤春菜(こんどう はるな、1983年2月23日 - )東京都葛飾区出身。身長155cm、体重75kg、星座うお座。ツッコミ担当。桐朋学園芸術短期大学卒。肌年齢20歳。
(肌年齢は、2008年6月現在、TV番組にて確認)

コンビ名の由来は「ハリセンボン(魚の方)は顔はかわいいが、鋭いとげがあり近づくと危険」という考えからつけられた。
吉本興業所属の若手芸人ユニット「劇団ガッツ」を犬の心が結成し、この劇団のメンバーに選ばれた。メンバーはハリセンボンの2人の他にミルククラウン・グランジ・もう中学生。
2005年、TBSテレビの芸人オーディション番組「ゲンセキ」にて、1年後輩のオリエンタルラジオらと共にコント番組「10カラット」のメンバーに選抜される。
「10カラット」や、ドラマ「ライオン丸G」をきっかけに2006年からブレークし、様々なテレビ番組に出演。週刊誌「フラッシュ」[1]では『久々に現れた大型女性コンビ』と評されるなど、森三中ら女性芸人を脅かす存在となった。近頃はレギュラー番組も増えてきて、いわゆる「売れっ子」の仲間入りを果たした。
2007年3月7日にシングル「ともだちのうた」を発売しR and CからCDデビュー。「吉本のPUFFY」を目指している。オリコン最高195位。発売3週間の売上がわずか400枚であることが「オールスター感謝祭」(2007年3月31日放送)で出題されたことで明らかになった。また11月29日の天才てれびくんMAX内で公表した時にはてれび戦士に「CD出してたの?!」と素で言われてしまった。
2007年10月に放送されたTBS系お笑い番組「リンカーン」にて、ハリセンボン担当マネージャーの田中杏奈が登場した。田中マネージャーは、箕輪や近藤とは異なり、いわゆる美人キャラであった。
2007年のM-1グランプリでは決勝に進出するも、敗者復活で勝ち上がってきたサンドウィッチマンに敗れ、4位に終わる。審査員の上沼恵美子には「品があり安くて上手くて完璧」と絶賛された。同じく審査員の松本人志によると無名なら優勝していたかもしれないらしい(1月5日放送室)。因みにキャッチフレーズは「(デブ+ヤセ)×ブサイク=爆笑」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転記

posted by ハリセンボン at 23:39 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

結核

結核とは、マイコバクテリウム属の細菌、主に結核菌により引き起こされる感染症。
結核菌は1882年に細菌学者ロベルト・コッホによって発見され、日本では、明治初期まで肺結核は労咳(癆痎、ろうがい)と呼ばれていました。

空気感染が多く肺などの呼吸器官においての発症が目立つが、中枢神経(髄膜炎)、リンパ組織、血流(粟粒結核)、泌尿生殖器、骨、関節などにも感染し、発症する器官も全身に及ぶ。
結核菌は様々な器官において細胞内寄生を行い、免疫システムはこれを宿主細胞もろともに攻撃するため、広範に組織が破壊され、放置すれば重篤な症状を起こして高い頻度で死に至る。
肺結核における激しい肺出血とそれによる喀血、またそれによって起こる窒息死がこうした病態を象徴している。

感染者の、大部分は症状が出る事は少なく、無症候性、潜伏感染が一般的で、潜伏感染の約10分の1が最終的に症状が発生し、治療を行わない場合感染者の半分が死亡する。

2004年には、死亡率および罹患率は慢性活動性の患者が1460万人、890万人の患者が発症し、160万人が死亡した。
その大部分は発展途上国で、先進国においても、免疫抑制剤を使用している患者やエイズの患者、薬物乱用などにより増大傾向にある。

結核患者の分布は一定ではなく、多くのアジアやアフリカの国では約80%の人が結核の検査で陽性を示すが、一方アメリカ合衆国では5〜10%が陽性であるのみである。
アメリカで毎年二万五千人が新たに発生し、その40%が結核の流行地域からの移民であると推定されている。

かつては日本では国民病・亡国病とまで言われる程の侵淫を見、第二次世界大戦後、抗生物質を用いた化学療法の普及などによって激減したが、他の先進工業国に比べて感染率と死亡率は高い状態である。
2001年5月に20名の集団感染が発生した大学で診断を実施した教授が「関心の低下も一因」と指摘するなど、結核の危険性に対する日本国民の関心低下が指摘されており、今日では逆に「結核は過去の病気ではない」というスローガンで注意の喚起が叫ばれている。

予防策として日本ではBCGが行われているが、アメリカでは行われていない。
フランスなどのヨーロッパ諸国では継続して行われている国も、中止に到った国もある。
BCGを行うことのメリットは、小児の結核性髄膜炎と粟粒結核の頻度を有意に減少させることにある(有効性 80%)。
しかし、成人の結核症を減少させるという根拠はない(有効性 50%)。いっぽうデメリットとしては、ツベルクリン反応を陽性化させてしまうため結核の診断が遅れることにある。
結核菌の頻度が低い地域ではBCGを行うデメリットが大きいと思われる。
BCGを中止したスウェーデン、旧東ドイツ、チェコスロバキア等では、中止後小児結核が増加した。
結核菌の頻度が高い(特に家族間感染が多い)日本などの地域では今後もBCGは行われていくと思われる。

なお、日本ではまずツベルクリン反応検査を行い、陰性反応が出た者のみにBCG接種を行う形だったが、2005年4月1日より結核予防法の改定により、ツベルクリン反応検査を行わずに全員にBCG接種を行う形になった。

病原体
結核は、抗酸菌群に属する(ヒト型結核菌)、(ウシ型結核菌)、(アフリカ型結核菌)等結核菌群によっておこるが、日本の結核は主に M. tuberculosis による。
なお、Mycobacterium tuberculosisの読みは、日本細菌学会編の『微生物学用語集』には「マイコバクテリウム・ツベルクローシス」と記載されている。tuberculosisは英語風に「テュバキュローシス」と読まれることもある。

伝播
結核は結核菌を含む飛沫核の吸入による空気感染を示す。
結核患者からの咳、くしゃみ、唾より感染する。
世界人口の三分の一が結核菌に感染しており、毎秒の単位で感染患者が発生している。


一次結核
吸入された結核菌がリンパ行性、血行性に体中に広がり細胞内に寄生して潜伏する。無症状で、免疫応答が不十分な宿主においては結核症を発症する。典型的には上肺野、肺尖部領域の肺結核を発症する。


再活性化
充分な免疫応答が得られても、宿主の免疫機能が後天的に障害されると、結核菌は活性化する。
宿主の免疫機能が障害される例としては、加齢、AIDS、糖尿病、悪性腫瘍、ステロイドや免疫抑制剤といった薬物の使用が挙げられる。


肺結核今回のハリセンボン:箕輪はるかさんの場合
肺結核は呼吸器疾患で、近年、多剤耐性肺結核が話題となっている。

症状
当初は全身倦怠感、食欲不振、体重減少、37℃前後の微熱が長期間にわたって続く、就寝中に大量の汗をかく等非特異的であり、咳嗽(痰は伴うことも伴わないこともあり、また血痰を伴うことがある)が疾患の進行にしたがって発症してくる。昔は「不治の病」「難病」と呼ばれていた。

治療
かつてはストレプトマイシン単剤の服用で効果があったようだが、現在は耐性獲得の危険があるため単剤での治療は行わない。
現在ではイソニアジド、リファンピシン、ピラジナミド、エタンブトール(またはストレプトマイシン (SM))の4剤併用療法を行うべきであると考えられている。
各薬物には副作用があるため注意しつつ投与する必要がある。
結核菌はこのそれぞれの薬物に耐性をもつものが存在するが、イソニアジドおよびリファンピシンの二剤に耐性をもつ菌は多剤耐性結核菌と呼ばれ、治療に難渋することがある。
一度発症した場合は6〜9ヶ月の投薬療法が一般的である。
治療を正確に完了した場合、再発率は5%未満である。
しかし、治療中断により結核菌に耐性ができ、集団感染することが問題となっている。
その為確実な薬の服用を目指したDOTS/直接監視下短期化学療法の実施拡大が求められている。

肺結核は空気感染が起こりうるため、排菌のある結核患者は感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律により結核病棟への入院が義務づけられている。
医療従事者はN95マスクを装着する必要がある。
患者の搬送は最低限にすべきであるが、どうしても必要な場合は患者に通常のマスクを、医療従事者にN95マスクを装着し、窓を開けるなど換気に留意する。
喀痰中の排菌のない(ガフキー0号)患者は、強制入院の対象ではない。

逸話
結核、特に肺結核は労咳と呼ばれ、古くから日本に多く見られる病気のひとつであった。特に明治期には国民病といわれるまでに罹患者の多い疾病であったため、近代以降の文化史に強い影響を与えている。当時はほとんど打つ手のない死病であり、この病によって若くして命を落とす人が少なくなかったこと、また喀血症状が古くからの「血を吐くまで(恋や悩みに)苦しむ」という言いまわしに重ね合わされて捉えられたことなどから、小説や映画の中では薄倖の才子佳人に特有の病気として悲劇的に描かれることが多かった。

集団生活が基本であり、集団感染の危険が高い陸海軍でもこの病気には非常に気を使い、徴兵検査では特に厳重な胸部検査をし、さらに陸軍士官学校などでは度々ツベルクリン反応検査をしたり寝台は頭と足の向きを交互にするなどして対応していた。また兵役中に結核を発症した場合、「軍隊で結核にかかった」などの悪評が広がる事を防ぐため、肺浸潤や肋膜炎などのぼかした表現が使用された。

死亡率が高かった頃は、病名「結核」はあまりにも直接的で人々の口に出しづらかった。このため学名の tuberculosis から、医師らはカルテに "TB" と記すことが多く、またドイツ語読みが原則であったため「テーベー」と言い習わした。ここから出発して一般人も「テーベー」と呼ぶことが多かった。現在でも医者同士の会話などでは「テーベー」は普通に使われているし、略号としての "TB" もしばしば使われる。

新選組の沖田総司は肺結核のために病死した。このため幕末ものの小説や映画では彼を悲劇の天才剣士として描くことが多い。沖田が池田屋事件で大喀血を引起こしながら大立回りを続ける場面は新選組もののハイライトのひとつである。但し池田屋事件当時、同じく隊士であった永倉新八の新選組顛末記によると沖田が喀血したとは書かれておらず、昏倒した事だけが書かれている事から、喀血した話は子母澤寛の『新選組始末記』での創作という説もあり、真相は不明である。
正岡子規は結核を病み、喀血後、血を吐くまで鳴きつづけるというホトトギスに自らをなぞらえて子規(漢語でホトトギスの意)という号をもっぱら用いた。
結核に「悲劇の病」というイメージを与えるに決定的であったのは、徳富蘆花の代表作『不如帰』であろう。美貌のヒロイン浪子が武男を慕いながらも、家の体面や運命によって愛を引き裂かれ、哀れにその生涯を終える物語は、映画や新派劇などで繰返し上演され、肺結核の文化史的イメージをつくりあげた。
堀辰雄の『菜穂子』はサナトリウムにおける末期患者を主人公にしたもので、『不如帰』とはまた別趣の、静謐な悲劇的イメージによって結核を描いている。薄倖の可憐な少女が死の影におびえながら生を養う、というサナトリウムの通俗的観念が成立するにあたって大きな影響を与えた作品である。ちなみに堀自身も結核で長い病床生活を送り、病死している。
トーマス・マンの『魔の山』は結核患者のための高原サナトリウムを舞台にした壮大な対話による小説で、閉鎖空間としてのサナトリウムを哲学的に描いた大作である。また健全な美と不健全な美に同時にあこがれるマンの文学において、結核患者たちは不健全な美の体現者としても描かれており、日本の結核文学との捉え方の相違に特徴がある。
その他、結核で命を落とした歴史上の人物は数知れない。これは結核が文字通り「不治の病」であり、広く伝染しうるものであったことを示すものである。

実例を挙げると・・・
ペルゴレージ:18世紀のイタリアの作曲家。1710年 - 1736年。
ブラウン:18・19世紀のアメリカの作家。1771年 - 1810年。
ショパン:19世紀前半の作曲家。1810年 - 1849年。なお、彼の妹エミリアも結核によって死亡している。
ナポレオン2世:ローマ王。1811年 - 1832年。
高杉晋作:幕末の志士。1839年 - 1867年。
モレル:イギリスの鉄道技師。1841年 - 1871年。
沖田総司:幕末の武士。1842年(1844年) - 1868年。
陸奥宗光:明治時代の政治家、外交官。下関条約締結時の日本全権。1844年 - 1897年。
ロット:19世紀のオーストリアの作曲家。1858年 - 1884年。
スーラ:19世紀のフランスの画家。1859年 - 1891年。
アレンスキー:19世紀のロシアの作曲家。1861年 - 1906年。
カリンニコフ:19世紀のロシアの作曲家。1866年 - 1901年。
高山樗牛:明治時代の文芸評論家。1871年 - 1902年。
国木田独歩:明治時代の作家。1871年 - 1908年。
樋口一葉:明治時代の作家。1872年 - 1896年。
ビアズリー:19世紀のイギリスの画家。1872年 - 1898年。
滝廉太郎:明治時代の作曲家。1879年 - 1903年。
長塚節:明治・大正時代の歌人。1879年 - 1915年。
石川啄木:明治時代の歌人・詩人。1886年 - 1912年。
梶井基次郎:昭和初期の作家。1901年 - 1932年。
新美南吉:昭和時代の児童文学作家。1913年 - 1943年。
高野公男:作詞家。1930年 - 1956年。




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